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循環器病対策基本法・基本計画を背景に、循環器医療の現状把握と診療体制整備を

循環器病対策基本法・基本計画を背景に、循環器医療の現状把握と診療体制整備を

取材日:2021年2月4日(木)

 日本の循環器医療は著しい進歩を遂げてきましたが、健康寿命の延伸や医療体制の充実に向け、よりいっそうの対策強化を図る必要性が指摘されています。そこで2018年12月、「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」(以下、基本法)が成立、2019年12月に施行され、さらに昨年(2020年)10月には基本法に基づく「循環器病対策推進基本計画」(以下、基本計画)が閣議決定されました。今後は基本法および基本計画を踏まえ、都道府県ごとに循環器病診療・研究の充実、発展に向けた具体的な取り組みが始められる見通しです。今回は、急性心筋梗塞(AMI)/急性冠症候群(ACS)をはじめとする循環器病患者の予後改善に向けた神奈川県の取り組み、さらには全国の経皮的冠動脈インターベンション(PCI)施行体制の整備について、東海大学循環器内科教授で日本心血管インターベンション治療学会(CVIT)理事長の伊苅裕二先生に伺いました。

お話を伺った方
伊苅裕二先生(東海大学 循環器内科 教授)

循環器病の現状把握に向け、悉皆性の高いレジストリ構築を目指す

 東部に横浜市と川崎市、西部には相模原市という3つの政令指定都市を擁し、900万人超と東京都に次ぐ全国2位の人口を抱える神奈川県。厚生労働省の人口動態統計によると、神奈川県におけるAMIの年齢調整死亡率(2015年、人口10万人対)は男性が16.2、女性が4.8で、全国平均(男性16.2、女性6.1)とほぼ同等の成績でした1)。神奈川県の医療提供体制について、伊苅先生は「地方と異なり県内に僻地がほぼ存在しないため、医療過疎地が比較的少ないという特徴があります。循環器医療については、内科、外科ともに大規模な施設が複数存在します」と説明します。

 このように、地方と比べ一見恵まれた環境にあると思われがちな神奈川県の循環器医療ですが、伊苅先生によると、県内における循環器病患者のデータ集積は十分でなく、症例ごとの受診状況や治療内容、予後など、多くの不明点が存在しているといいます。神奈川県では既に、「神奈川循環器救急レジストリー(K-ACTIVE)」というレジストリが運用されていますが、「K-ACTIVEでは主にPCI施行後のAMI患者を登録しているため、受診前の状態や他疾患の動向が把握できないのです」と伊苅先生。例えば、PCI非施行のAMI/ACS患者の転帰、早期に診断できなかった急性大動脈解離患者の死亡率、冬季に空きベッドがなく入院できなかった心不全患者の予後など、十分に把握できていないデータが多いそうです。

 基本計画の閣議決定を受け、今後は神奈川県でも「循環器病対策推進協議会」(以下、推進協議会)が設置され、「循環器病対策推進計画」(以下、推進計画)策定に向けた議論が開始される予定です。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延の影響で具体的な検討はこれからですが、こうした実状から、伊苅先生は推進計画に悉皆性の高いレジストリの構築を盛り込みたいと考えています。「神奈川県は人口が多いにもかかわらず、循環器病の現状把握が進んできませんでした。今回の基本法および基本計画を契機に、県内の循環器病患者のデータを収集し、今後の循環器医療の方向性を探る第一歩にしたいと考えています」と話しています。

2024年の「働き方改革」を前に、CVIT理事長として全国のPCI施行体制を整備

 AMI/ACSの治療では、一刻も早い直接的PCI(primary PCI)施行の有効性が確立されています。しかし、日本国内では都市部と非都市部でPCI施行体制に地域差があるなど、未解決の課題が存在することも事実です。基本計画では「全体目標」として医療体制の充実が掲げられていますが、伊苅先生はCVIT理事長として、現在のPCI施行体制についてどのように考えているのでしょうか。

 伊苅先生が問題視しているのは、日本では小規模のPCI施行可能施設が点在しており、それがPCI術者に厳しい労働環境を強いている点です。CVITが全国のPCI施行可能施設を対象に行った実態調査(調査期間:2018年1~12月、2018年4月~19年3月、計886施設)2)によると、施設当たりのPCI術者数は中央値で4人にとどまっていました(図1)。「つまり、半数の施設が4人以下の術者でPCIを行っていることになります。このような体制の下、AMI/ACS治療に24時間365日対応し続けるのは不可能ではないでしょうか」と訴えます。

図1 施設当たりのPCI術者数

 さらに、2024年度から医師にも適用される「働き方改革関連法」への対応も喫緊の課題だといいます。同法では医師の時間外労働として原則年960時間/月100時間(A水準)、二次救急および三次救急など特定の医療機関では年1,860時間/月100時間(地域医療確保暫定特例水準:B水準)と上限が設定される見通し3)ですが、伊苅先生によると、こうした規制はPCI術者の労働実態を踏まえていないそうです。

 「なんら対策を講じないままPCI術者に働き方改革関連法を適用すれば、多数の施設でPCI施行が不可能になる可能性があります。その結果、AMI/ACS患者の死亡率上昇につながることが懸念されます」と伊苅先生。「そのような事態を避けるためにも、基本法および基本計画を背景に、この数年間でPCI施行体制を早急に整備する必要があります。CVIT理事長として危機感を持ち、背水の陣の覚悟で対応していくつもりです」と意気込みを語りました。

二次予防では心臓リハビリテーションと厳格な脂質低下療法の徹底が重要

 AMI/ACS患者では、治療後に心血管イベントが再発するケースも少なくありません。日本人のAMI患者3,000例以上を3年間追跡したJ-MINUET試験では、26.7~40.2%に心血管イベントが認められ、死亡率はST上昇型AMI(STEMI)で13.6%、クレアチンキナーゼ(CK)上昇あり非ST上昇型AMI(NSTEMI)で20%、CK上昇なしNSTEMIで14.3%でした4)。そのためAMI/ACSの治療では、迅速なPCI施行だけでなく心血管イベントを抑制する二次予防も重要です。

 二次予防の取り組みとして、伊苅先生がまず重視するのが心臓リハビリテーションです。日本循環器学会の『急性冠症候群ガイドライン(GL)2018年改訂版』ではACSの二次予防として心臓リハビリテーション導入が推奨されており(推奨クラスⅠ、エビデンスレベルA)5)、2021年3月に同学会と日本脳卒中学会が共同で策定した「脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画」でも、循環器病に対する心臓リハビリテーションの重要性が強調されています6)。「AMI/ACS患者のQOLおよび生命予後改善における心臓リハビリテーションの有用性は、既に確立されています」と伊苅先生。神奈川県では、聖マリアンナ医科大学(川崎市)循環器内科教授で日本心臓リハビリテーション学会理事の明石嘉浩先生を中心に、取り組み強化に向けた施策を推進したいと説明します。

 他にもAMI/ACSの二次予防では、LDLコレステロール(LDL-C)低下療法を中心とした脂質管理が鍵を握ります。近年、LDL-Cについては世界的にGLで低い管理目標値が提示される傾向にあり、米国心臓病学会(ACC)の『エキスパートコンセンサス2017』では「70mg/dLを考慮」7)、欧州心臓病学会(ESC)/欧州動脈硬化学会(EAS)の『脂質異常症管理GL 2019』では超高リスク例で「55mg/dL未満を推奨」8)と記載されました。日本でも、日本動脈硬化学会の『動脈硬化性疾患予防GL 2017年版』が「70mg/dL未満を考慮」9)と管理目標値を示しています。

 この点について、伊苅先生は「LDL-C値は、下げれば下げるほど冠動脈イベントが抑制されることが分かっています10)」と指摘します。「PCI施行後のAMI/ACS患者は、心臓リハビリテーションやLDL-C低下療法を中心とする二次予防プログラムを受けることが極めて重要です」。

 さらに、こうした二次予防を図る上で欠かせないのが、地域での円滑な医療連携です。「退院後のフォローアップを担う地域のかかりつけ医の先生方にも、二次予防におけるLDL-C低下療法に対する意識を今以上に高めてもらいたいと考えています」と伊苅先生。今回の基本法および基本計画をきっかけに、「LDL-C低下療法の重要性を、よりいっそう発信していきたいと思います」と話しています。

基本法が施行された今、早期受診の啓発を

 レジストリをはじめとする研究の推進や医療体制の充実に加え、基本計画では生活習慣改善による発症予防や早期の受診、救急要請の必要性など、市民に対する循環器病の啓発も重視されています。各都道府県の推進計画でも啓発の具体策が盛り込まれると予想されますが、伊苅先生はどのように考えているのでしょうか。

 「米国では、関連学会がテレビやラジオを通じ、循環器病の症状や受診の必要性などを啓発するコマーシャルを放送しています。こういった取り組みは、日本では見たことがありません」と伊苅先生。「循環器病の中でも、特にAMI/ACSは患者さんの初動が重要です。基本法が施行され、基本計画が閣議決定された今、行政の力も借りながら、とりわけ早期受診の重要性について啓発を行いたいと思います」と話します(図26)

図2 市民へ向けた循環器病啓発のイメージ

 なお、基本計画では啓発用のツールとしてソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の活用も言及されています。昨今、日本循環器学会など多くの学会がSNSによる情報発信を開始していますが、伊苅先生も「マスメディアと比べ情報が容易に発信できるので、今後は考慮に入れるべきですね」と意欲的です。

Interventionalistには、基本法と基本計画をしっかり認識してほしい

 これから、議論が本格化される見通しの神奈川県における推進計画。策定には、予算を執行する自治体、学術的な提言を行う学会、医療を提供する医療機関という三者の緊密な連携が不可欠です。その在り方について、伊苅先生は「三者それぞれ立場が異なるので、互いの立場を踏まえながら総合的にすり合わせつつ、最終的に良いアウトカムが出せるようにしたいと思います」と話します。

 推進計画の策定と実践に向け、今後どのようなスケジュールが予定されているのでしょうか。伊苅先生は「現在、日本循環器学会が推進計画のモデルとなる案の作成を進めています。それに基づいて、推進協議会が地域の実情を反映した具体案を練り上げていく予定です」と説明します。今年中には、神奈川県としての目標が設定される見通しだということです。

 最後に、推進計画の策定を通じ、伊苅先生が目指す神奈川県の新たな循環器医療の姿を伺いました。「PCIをはじめ、循環器病の治療技術は目覚ましい発展を遂げてきましたが、がんに比べると認知度は十分とはいえません」と伊苅先生。「AMI/ACSを中心に、心不全、急性大動脈解離も含めた循環器病の診療体制を全国的に整えることで、市民1人1人に循環器医療を生活の一部として身近に感じてもらえれば、生命予後のさらなる改善が目指せるのではないでしょうか」と話します。その上で「循環器医が、週末には家族と過ごせる余裕を持ち、無理なく診療できる体制の整備も目指したいですね」と力を込めました。

 さらにCVIT理事長として、全国のInterventionalistに向けてこう呼びかけました。「PCI施行を担うInterventionalistは、循環器医療の中心的な存在です。基本法および基本計画を、自らの将来に関わる重要な問題として強く認識していただきたいと思います」。

 基本法と基本計画を通じ、神奈川県の循環器医療および全国のPCI施行体制にどのような変化が訪れるのか。伊苅先生の手腕が注目されます。

文献

1)厚生労働省. 2017年度人口動態統計特殊報告 2015年度都道府県別年齢調整死亡率の概況.

2)CVIT広報委員会調査資料.

3)厚生労働省. 医師の働き方改革に関する検討会 報告書.

4)Ishihara M, et al. Cric J 2017; 81: 958-965.(COI:アステラス製薬株式会社)

5)日本循環器学会. 急性冠症候群ガイドライン(2018年改訂版).

6)日本脳卒中学会・日本循環器学会ほか. 脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画 2021.http://www.j-circ.or.jp/five_year/files/JCS_five_year_plan_2nd.pdf

7)Lloyd-Jones DM, et al. J Am Coll Cardiol 2017; 70: 1785-1822.

8)Mach F, et al. Eur Heart J 2019; 41: 111-188.

9)日本動脈硬化学会. 動脈硬化性疾患予防ガイドライン2017年版.

10)Baigent C, et al. Lancet 2005; 366: 1267-1278.

 

 

EVO214146MH1(2021年6月作成)