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循環器病対策基本法・基本計画の後押しで、国・自治体単位での脂質管理推進を

循環器病対策基本法・基本計画の後押しで、国・自治体単位での脂質管理推進を

取材日:2021年6月16日(水)

 日本は循環器病の診療で世界トップレベルに位置すると考えられますが、脳卒中を含む循環器病による死亡者数はがんに劣らず多く、予防・啓発の推進や医療体制の充実などによる予後の改善が求められています。こうした背景から、2019年12月に「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」(以下、基本法)が施行され、昨年(2020年)10月には基本法に基づく「循環器病対策推進基本計画」(以下、基本計画)が閣議決定されました。今後、基本法および基本計画に基づき、各都道府県で地域の実情を踏まえた取り組みが策定、推進される見通しです。そこで今回は、急性心筋梗塞(AMI)/急性冠症候群(ACS)をはじめとする循環器病患者の予後改善に向けた熊本県の取り組みや、二次予防で鍵を握る脂質管理の展望について、熊本大学循環器内科学教授/熊本大学病院副病院長の辻田賢一先生に伺いました。

お話を伺った方
辻田賢一先生(熊本大学 循環器内科学 教授/熊本大学病院 副病院長)

primary PCIの空白地を解消し、AMI死亡率を改善

 新たな治療技術や薬剤の登場により脂質低下療法が進歩したにもかかわらず、日本ではAMI患者数が増加し続けています。米国では2000年をピークにAMIの発症率が低下しており、特にプラーク破綻によるST上昇型AMI(STEMI)の大幅な減少が認められる1)のに対し、日本のAMI患者数(入院中死亡含む)は、この5年で約7万4,000人(2015年度)から約8万2,000人(2019年度)に増加していました2)

 AMI/ACS患者の予後改善に最も効果的な治療法として、既に直接的経皮的冠動脈インターベンション(primary PCI)の有効性が確立されていますが、施行率は必ずしも十分とはいえないようです。循環器疾患診療実態調査(JROAD)-DPCデータベースに登録されたAMI患者約11万5,000例を対象とした解析では、primary PCIの施行率は全体で72.5%にとどまり、女性および高齢者で低い傾向が見られました3)

 このような課題の解決に向けて辻田先生が訴えるのが、primary PCI施行率の上昇および施行可能施設の適切な配置などによるAMI/ACS診療体制の整備です。辻田先生は「AMI/ACS患者にprimary PCIを可能な限り幅広く提供することが、われわれ循環器内科医の責務です」と話します。

 学会レベルでは、既に課題解決に向けた動きが本格化しています。日本循環器学会は、基本法の施行と基本計画の閣議決定を踏まえ、今年3月に「脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画」(以下、第二次5ヵ年計画)を公表し、primary PCI施行体制の整備に向けた指針をまとめました4)。また日本心血管インターベンション治療学会(CVIT)も、primary PCIの普及を掲げる欧州発のプロジェクト“Stent Save a Life”を推進し、AMI/ACS患者の予後改善を目指した啓発活動を展開しています。

 両学会で要職を務める辻田先生は、この間、熊本県におけるprimary PCI施行体制の整備に尽力してきました。「熊本県は、熊本市と八代市以外の地域にPCI施行可能施設が少なく、そうした地域ではAMIの年齢調整死亡率が高くなっていました5)」と辻田先生。そこで、熊本大学病院心臓血管センターを中心に防災ヘリ、ドクターヘリ、心臓疾患専用救急車(モービルCCU)などを駆使した急性期心血管疾患ネットワークの構築に取り組んだところ、2015年のAMI年齢調整死亡率(人口10万対)は男性8.6、女性3.5(全国平均:男性16.2、女性6.1)と、全国有数の良好な成績を達成しました6)

 このような取り組みについて、辻田先生は「山間部におけるprimary PCIの空白地を解消することで、熊本県のAMI年齢調整死亡率を大変低く抑えられるようになりました」と振り返り、「今後は、こうした良好な治療成績を支えるPCI術者の労働環境改善も課題ですね」と展望しています。

非責任病変の可変的プラークをターゲットにした積極的脂質低下療法を

 一方、AMI/ACS診療では二次予防においても「解決できていない課題が存在します」と辻田先生は指摘し、「二次予防における最大の課題は、責任病変以外にもプラークを有するpan coronary syndromeへの対応です。日本のAMI発症率が米国のように低下していないのは、国全体の方針として二次予防が徹底されておらず、脂質低下療法が個々の循環器内科医に一任されているためではないでしょうか」と話します。

 そこで辻田先生と和歌山県立医科大学循環器内科准教授の久保隆史先生らは、血管内超音波(IVUS)による5つの冠動脈プラーク分類に注目し、AMI/ACS患者で心血管イベントを起こしやすい非責任病変を把握する目的で、プラーク組織性状の自然歴を調べました。その結果、pathological intimal thickening(PIT)、virtual histology intravascular ultrasound-derived thin-capped fibroatheroma(VH-TCFA)、thick-capped fibroatheroma(ThCFA)の組織性状は可変的であり、TCFAが発生または残存する危険なプラークであると分かりました。また、こうした可変的な組織性状を持つプラークの増大に伴い、血管内腔面積が狭小化することも明らかになりました(図17)。なお、この点については非責任病変におけるプラークの量(容積率70%以上)、性状(VH-TCFA)、内腔狭小化(最小内腔面積4.0mm2 以下)が心血管イベント再発に寄与することも報告されています8)

図1.冠動脈プラークの組織性状別に見た内腔面積の変化

 これらの知見を踏まえ、辻田先生は「PCI術者は、TCFAを中心とした可変的なプラークを見つけ出し、それらを有するAMI/ACS患者に積極的な脂質低下療法を行う必要があります」と指摘し、「これが、日本のInterventionalistに課せられた課題です」と訴えます。

 一方、「とはいえ現実的には、全ての施設が非責任病変におけるTCFAを発見し、リスクを評価できるわけではないと思います」とも。この点については、血流予備量比(FFR)、瞬時血流予備量比(iFR)といった生理学的指標により非責任病変へのPCI施行を先送りしたAMI/ACS患者も「冠動脈内の圧は低下していないもののプラークが存在している可能性があり、再発リスクは高いと考えられます」と話し、「このような患者さんに対しても、積極的な脂質低下療法が必要ではないでしょうか」と付言しました。

心血管イベント発生率はLDL-C値に応じて低下

 ではAMI/ACS患者の二次予防において、どのようなスタンスでTCFAを中心とする可変的プラークへの介入を行っていくべきなのでしょうか。

 これまで、AMI/ACS患者で重要な主要心血管イベント抑制やプラーク退縮について、それらが実際にLDL-C値の低下によるものなのか、明確な答えは得られていませんでした。そこで辻田先生らはこの点を検証するため、PCIを施行した冠動脈疾患(CAD)患者を対象に、脂質異常症治療薬投与後におけるアテローム容積率(PAV)の変化を検討しました9)。「試験結果を基にLDL-C値とPAVの変化の関係を確認したところ、LDL-C値に応じてプラークが退縮することが証明されたのです」と辻田先生。このような傾向は、その後さらに強力な脂質低下療法におけるLDL-C値と心血管イベント発生率10)、PAVの変化の関係を調べた検討11)でも明らかになったと言います。

 このようにプラーク退縮における「LDL仮説」が証明されたことなどを踏まえ、日本動脈硬化学会の『動脈硬化性疾患予防ガイドライン(GL) 2017年版』では、ACS、家族性高コレステロール血症(FH)などの高リスク患者に対しては、LDL-Cの管理目標値として70mg/dL未満を考慮するよう記載されました12)。こうした背景から、辻田先生は「GLが示すように、高リスク患者ではLDL-C値70mg/dL未満を目指すことが重要です」と話しています。

診療データベースの統合・連携で期待される高度なフォローアップ

 しかし、GLで示されたLDL-C値70mg/dL未満という管理目標を達成できているAMI/ACS患者は、現状では決して多くないようです。2018年の報告によると、ACS患者におけるLDL-C値70mg/dL未満の達成率は3割にも満たないことが示されています13)。近年の健診データからも同様の傾向が認められており14)、辻田先生は「新しい脂質異常症治療薬の登場により達成率の向上を期待していましたが、依然として難しい状況にあるようです」と懸念を示します。

 では、LDL-C値70mg/dL未満の達成率を向上するため、今後どのような施策が求められるのでしょうか。「JROAD-DPCデータが示すAMI後の処方状況を見ると、スタチンでさえ処方率は70%未満でした15)」と辻田先生。そこで、「基本法および基本計画の後押しを受け、脂質異常症治療薬の処方率を上げていくことが必要です」と話します。

 第二次5ヵ年計画では、基本法および基本計画に基づいた登録事業の推進が掲げられ、JROAD-DPC、J-ASPECT Study、日本脳卒中データバンク、J-PCIなどの統合や、SS-MIX2/SEAMATといった電子カルテのデータベースの連携を目指すとされています4)。「このようなデータベースの統合・連携により、ACSの高リスク患者における処方状況や管理目標値の遵守状況が、各医療機関でモニタリング可能となることが期待されます(図2)」と辻田先生は指摘します。

図2.循環器疾患診療データベースの連携・統合で期待される効果

 熊本県でデータベースの統合・連携における有用性が期待されているのが、熊本県、熊本県医師会が主導し、大学病院、基幹病院、かかりつけ医、訪問看護ステーション、介護施設などが加入して各施設間で患者さんの情報を共有するシステム「くまもとメディカルネットワーク」です。現在(2021年6月16日時点)までに熊本県内の626施設が参加し、患者さんの参加同意数は約23万件に上ります。

 辻田先生は、くまもとメディカルネットワークを活用した情報共有を通じ「LDL-C値70mg/dL未満という管理目標がクオリティ・インディケータ(QI)として設定されることを期待しています」と話します。「AMI/ACSの二次予防では、慢性期のフォローアップを担うかかりつけ医の先生方にLDL-Cの管理目標値が引き継がれないという課題がありました。しかし、くまもとメディカルネットワークを通じ急性期病院とかかりつけ医の先生方との連携が強化され、LDL-C値70mg/dL未満という管理目標がQIとして評価の対象になれば、慢性期もより高度なフォローアップが可能となるのではないでしょうか」。熊本県では今後、基本法・基本計画に基づく「循環器病対策推進協議会」が設置され、「循環器病対策推進計画」策定に向けた議論が開始される予定ですが、辻田先生は「くまもとメディカルネットワークは熊本県が誇るべきデータベースですので、推進計画に取り入れない手はないと思っています」と展望しています。

 なお、基本法および基本計画では、市民に対する循環器病の啓発も重要視されています。この点について、辻田先生は「AMI/ACSの二次予防では、疾患の病態だけでなくLDL-Cの具体的な管理目標値や食事療法について患者さんに理解してもらうことが重要です」と話し、イラストや漫画も掲載された情報提供資材の有効活用を提案しています。

 最後に、辻田先生が目指す熊本県の新たな循環器医療の姿を伺いました。「循環器病の診療では、二次予防だけでなく発症前からの予防医療も重要です」と辻田先生。「心血管疾患を発症していなくても、FHやLDL-Cが高値の患者さんは、冠動脈に高リスクのプラークを有している場合が少なくありません。このような患者さんを発症前の段階で精査し、脂質低下療法を積極的に行えるよう、予防医療のさらなる活性化を目指したいですね」と展望しました。

 基本法・基本計画の策定により、国や自治体単位での取り組みが始まろうとしている循環器病の予防医療。診療体制のさらなる充実やデータベースの統合・連携に向け、辻田先生が主導する熊本県の取り組みに注目が集まります。

文献

1)Yeh RW, et al. N Engl J Med 2010; 362: 2155-2165.

2)日本循環器学会. 循環器疾患診療実態調査報告書(2019年度実施・公表).

3)Uemura S, et al. Circ J 2019; 83: 1229-1238.

4)日本脳卒中学会・日本循環器学会ほか. 脳卒中と循環器病克服第二次5ヵ年計画 2021.
https://www.j-circ.or.jp/five_year/files/JCS_five_year_plan_2nd.pdf

5)日本経済新聞ホームページ.「心臓病」の地域格差.
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/health-expenditures-topics4/

6)厚生労働省. 平成29年度人口動態統計特殊報告 平成27年度都道府県別年齢調整死亡率の概況.

7)Kubo T, et al. J Am Coll Cardiol 2010; 55: 1590-1597.

8)Stone GW, et al. N Engl J Med 2011; 364: 226-235.

9)Tsujita K, et al. J Am Coll Cardiol 2015; 66: 495-507.

10)Cannon CP, et al. N Engl J Med 2015; 372: 2387-2397.

11)Nicholls SJ, et al. JAMA 2016; 316: 2373-2384.

12)日本動脈硬化学会. 動脈硬化性疾患予防ガイドライン2017年版.

13)Umeda T, et al. Cric J 2018; 82: 1605-1613.

14)株式会社JMDC提供データ.

15)Yasuda S, et al. Cric J 2016; 80: 2327-2335.

 

EVO214147MH1(2021年6月作成)