循環器病対策基本法・基本計画とACSレジストリで変わる鹿児島県の循環器医療
循環器病対策基本法・基本計画とACSレジストリで変わる鹿児島県の循環器医療
取材日:2021年1月15日(金)
新たな治療技術の開発や新薬の登場により日本の循環器医療は目覚ましい発展を遂げてきましたが、平均寿命と健康寿命の乖離、医療費の増加など、依然解決されていない課題も存在します。2018年12月、こうした問題の解決を目的とした「健康寿命の延伸等を図るための脳卒中、心臓病その他の循環器病に係る対策に関する基本法」(以下、基本法)が成立、2019年12月に施行されました。さらに昨年(2020年)10月には基本法に基づく「循環器病対策推進基本計画」(以下、基本計画)が閣議決定され、今後、各都道府県で地域の実情を反映した施策が展開される予定です。そこで今回は、急性心筋梗塞(AMI)/急性冠症候群(ACS)をはじめとする循環器病患者の予後改善に向けた鹿児島県における取り組みについて、診療体制の現状把握に資するレジストリ研究を中心に、鹿児島大学心臓血管・高血圧内科学教授の大石充先生に伺いました。
お話を伺った方 |
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大石 充先生(鹿児島大学 心臓血管・高血圧内科学 教授) |
多くの離島を抱え、地域差が大きい鹿児島県の循環器医療
基本計画では、循環器病対策の推進に向けた「全体目標」として①循環器病の予防や正しい知識の普及啓発②保健、医療及び福祉に係るサービスの提供体制の充実③循環器病の研究推進-の3つが掲げられています。鹿児島県でも、基本計画の規定に基づき「循環器病対策推進協議会」(以下、推進協議会)が設置され、目標達成に向けた「循環器病対策推進計画」(以下、推進計画)策定の議論が開始される予定です。
そもそも、鹿児島県の循環器医療は現在、どのような状況にあるのでしょうか。厚生労働省の人口動態統計によると、鹿児島県におけるAMIの年齢調整死亡率(2015年、人口10万人対)は男性が20.2、女性が9.2と、いずれも全国平均(男性16.2、女性6.1)を上回っています(図1)1)。このようにAMI患者の予後が全国平均と比べ必ずしも良好とはいえない背景の1つに、種子島、屋久島などの離島を多く擁するという、鹿児島県特有の地理的条件が関係しているようです。「鹿児島市内には多くの循環器専門医療機関がある一方、離島や大隅半島の東側で医療過疎が進んでおり、県内で医療提供体制に偏りが存在します」と大石先生。「鹿児島県の人口動態統計によると、鹿児島市のAMI死亡率(2017年、人口10万人対)が35.5だった一方、種子島が位置する西之表市は77.6と、2倍以上の差が認められます2)」と指摘します。診療体制の地域差が、AMI患者の予後に影響を及ぼしている可能性があるそうです。
さらに大石先生によると、こうした地域差が離島において医師不足をもたらすという悪循環を招いているといいます。AMI/ACSに対しては直接的経皮的冠動脈インターベンション(primary PCI)施行の有効性が確立されていますが、「離島では、日本心血管インターベンション治療学会(CVIT)の認定医・専門医の取得に必要な症例数を経験することが難しい状況にあります」と大石先生。「種子島の人口は約3万人、屋久島の人口は約1万3,000人にすぎず、AMI/ACSの症例数は決して多くありません。そのため、医師1人当たりの年間PCI施行件数が1桁台にとどまる場合もあります。これでは、CVITが定める症例数に達することができないのです」。こうした背景などから離島への赴任を希望しない若手の循環器医が増えており、医療過疎がますます進む一因になっているそうです。
なお、離島住民の救急搬送ではドクターヘリが活用されていますが、問題の根本的な解決には至っていないようです。「鹿児島県は南北に長く、奄美群島の最南端から県北までの距離は約600kmと、鹿児島市~大阪市の直線距離と同程度です3)」と大石先生。「この距離を、ドクターヘリで直接搬送することはできません」と顔を曇らせます。
ACSレジストリで救急搬送の流れを把握
このような診療体制の地域差という課題を抱える鹿児島県の循環器医療を改善するため、推進計画の策定とともに大石先生が取り組んでいるのが、Optimal therapy for all Kagoshima Acute Coronary Syndrome registry(OK-ACS Registry、以下ACS レジストリ)の構築です。「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延の影響で、残念ながら推進協議会の立ち上げと推進計画策定に向けた議論は遅れています。そこでその間、循環器内科に関わる疾患としてACSに注目し、対策を進めておこうと考えました」と大石先生。「現在、研究内容について協力施設と最終調整を行っているところです」と話します。
ACSレジストリが対象とするのは、2021年4月1日~2024年3月31日の3年間に鹿児島県の24施設で治療〔PCI、冠動脈バイパス術(CABG)、保存的加療を含む〕が施行された20歳以上のACS患者。3,000例を前向きに登録する予定で、5年間の追跡調査により治療成績を評価します。主要評価項目は主要脳心血管イベント〔MACCE:全死亡、心筋梗塞(MI)、脳卒中の複合エンドポイント〕、副次評価項目は全死亡、心臓死、心血管死、MI、脳卒中、心不全による入院です(図2)。
「このACSレジストリにより、ACS患者の救急搬送の流れと、それに応じた予後の違いを明らかにしたいと考えています」と大石先生。登録項目は多岐にわたり、病歴や臨床検査値、危険因子の有無に加え、PCI関連項目として施行日、緊急性の有無、使用バルーン(通常型/薬剤溶出性)、使用ステント(通常型/薬剤溶出性)、症状出現時間、病院到着時間、バルーン開始時間、ドクターヘリ使用の有無、ウオークインでの来院の有無などが設定される予定です。大石先生はその狙いについて「AMI/ACS患者に対するPCI施行率は、実は既にある程度把握できています。今回のACSレジストリでは救急搬送の流れを明らかにすることで、PCI施行可能施設の新設の是非など、循環器医療の均てん化に向けた議論に役立てたいと考えています」と話します。
LDL-C管理目標値の標準化にもACSレジストリを活用
AMI/ACS患者は、PCI施行後も心血管イベントを起こすリスクが少なくありません。日本人のAMI患者約3,200例の長期予後を検討したJ-MINUET試験では、3年間に全死亡や非致死性MIを含む心血管イベントが26.7~40.2%で認められました4)。また、日本人のACS患者約3,600例の長期予後を調べたPACIFIC Registryによると、発症後2年以内に20.6%が血行再建術のため再入院していました5)。
AMI/ACS患者の二次予防で鍵を握るとされるのが、LDLコレステロール(LDL-C)低下療法を中心とした脂質管理です。近年、日本動脈硬化学会の『動脈硬化性疾患予防ガイドライン(GL)2017年版』6)ではLDL-Cの具体的な管理目標値が「70mg/dL未満を考慮」と記載された他、日本循環器学会の『急性冠症候群GL(2018年改訂版)』 7)でも、LDL-C値70mg/dL未満に到達しない高リスク患者に対しさらなる治療強化を「考慮してもよい」と明記されました。こうしたGLの推奨を踏まえ、鹿児島県ではACS患者の脂質管理についてどのような対策が取られているのでしょうか。
「確かにGLではLDL-C値70mg/dL未満という具体的な管理目標値が示されていますが、脂質低下療法の方針は施設ごとに異なっているのが現状です」と大石先生。「鹿児島大学病院では厳格にLDL-C値を下げるよう努めていますが、紹介元の病院などでは徹底されていないケースも散見されます」と打ち明けます。
そこで大石先生は、脂質低下療法の標準化にもACSレジストリを活用したいと考えているそうです。「ACSレジストリで入退院時における脂質の管理状況を把握することで、ACSに対する一次および二次予防の実態を明らかにしたいと考えています。その上で、GLが示す管理目標のLDL-C値70mg/dL未満をさらに低下させる必要性や、LDL-C値70mg/dL未満を達成した症例の二次イベント発生率など、ACSの危険因子をあらためて検証したいと考えています」と話しています。
市民公開講座の動画配信など、SNSを活用した啓発を計画
基本法および基本計画では、PCI施行をはじめとする医療体制の充実やレジストリ研究の推進に加え、市民に対する循環器病の啓発が重視されています。鹿児島県の推進計画では食事や生活習慣の改善に向けて、どのような啓発が求められるのでしょうか。
芋焼酎の名産地として全国的に有名な鹿児島県。年間アルコール消費量は成人1人当たり83.8Lと全国平均を上回っており、しかも内訳はビールや果実酒と比べアルコール度数の高い焼酎が約26%を占めています8)。喫煙率は男女とも年々低下傾向にあります9)が、大石先生は「鹿児島県民は、お酒もたばこも一次産業従事者を中心に非常に好む印象です」と話します。
また、海に囲まれている鹿児島県では水産業が盛んですが、県庁所在地別に家計収支を調べた総務省の2019年の統計によると、鹿児島市の魚介類に対する消費支出額は全国27位と必ずしも多くありません10, 11)。「鹿児島大学に着任して一番驚いたのが、県民に魚介類を食べる習慣があまりないことです。そのため、冠動脈疾患発症の抑制作用6)が期待されるイコサペント酸(EPA)、ドコサヘキサエン酸(DHA)といったω-3系多価不飽和脂肪酸の摂取量が少ない可能性があります」と大石先生は指摘します。
こうした鹿児島県民の生活習慣を念頭に、大石先生は2013年の着任以来、保健師による勉強会や市民公開講座で講演を続けてきました。しかし、最近はCOVID-19蔓延の影響で実地での講演が難しい状況が続いています。
そこで大石先生が注目しているのが、基本計画でも啓発のツールとして挙げられているソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)です。「健康にあまり関心がない40~60歳代に向けて、インターネット上で市民公開講座の動画を配信するなど、新しいツールをうまく活用していきたいと考えています」と話しています。
日本循環器学会九州支部を中心に、九州全域で基本法に向き合う
近い将来、推進計画およびACSレジストリのアウトカムを踏まえ、さまざまな施策が展開されることが想定されます。大石先生が施策の最終目標として掲げるのは、鹿児島県における循環器医療の標準化です。「今後は心臓リハビリテーションや緩和ケアを含め、ある程度標準化された医療を実施可能なシステムをつくりたいと思っています。離島でも、PCI施行を含め、現地で最大限可能な医療を提供できるようにしたいですね」と抱負を語ります。
施策を展開していくには、自治体だけでなく関連学会との連携も不可欠です。「日本循環器学会九州支部のワーキンググループを通じ、各地方会でシンポジウムを開催するなど、さまざまな施策を推進したいと考えています。鹿児島県だけでなく、九州全域で基本法と基本計画に向き合っていきたいと思います」と大石先生。日本脳卒中協会鹿児島県支部とは以前から深く連携しており、今後も関係を強化していきたいと話します。
推進計画で設定した目標達成の振り返りにも、ACSレジストリが有用なようです。「レジストリのアウトカムから、推進計画の施策によるACSの予防効果を評価することができると思います」と大石先生。推進計画の進捗状況や、レジストリでは把握しきれない個々のACS患者の具体的な臨床像などについては、県内の循環器専門医療機関でつくる「鹿児島循環器カンファレンス」などを通じて情報共有を図っていく予定だといいます。
県内どの地域でも同様の医療が受けられるように
最後に、推進計画およびACSレジストリを通じ、鹿児島県において大石先生が目指す循環器医療の将来像を伺いました。「最低限、どの地域でも同様の医療が受けられることが最終ゴールだと思っています。AMI/ACSに関しては、特に離島における死亡率を抑制することで、鹿児島県全体の死亡率を低下させたいと考えています」。
大石先生は2013年の着任当初から、ACSレジストリにとどまらない「オール鹿児島レジストリ」の構想を描いてきました。「基本法というバックグラウンドができたので、ぜひ実現したいと思っています」と展望します。診療体制の標準化と二次予防の徹底に向けた、レジストリに基づく鹿児島県発の循環器医療。その新たな姿に、注目が集まります。
文献
1)厚生労働省. 2017年度人口動態統計特殊報告 2015年度都道府県別年齢調整死亡率の概況.
2)鹿児島県. 2017年人口動態統計.
3)鹿児島県公式サイト. 地理と気候.
4)Ishihara M, et al. Cric J 2017; 81: 958-965.(COI:アステラス製薬株式会社)
5)Daida H, et al. Cric J 2013; 77: 934-943.
6)日本動脈硬化学会. 動脈硬化性疾患予防ガイドライン2017年版.
7)日本循環器学会. 急性冠症候群ガイドライン(2018年改訂版).
8)国税庁. 酒のしおり 2020年3月.
9)国民生活基礎調査による都道府県別喫煙率データ(2001~19年).
10)総務省統計局. 家計調査年報(家計収支編)2019年.
11)鹿児島県公式サイト. 鹿児島市の消費支出.
EVO214145MH1(2021年6月作成)